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プロフィール |
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わかやま・しょうふう/
1957年後志管内神恵内村生まれ。27歳の時に脱サラ で書道界へ。85年札幌市円山に書道教室開設。86年商用毛筆始。90年第一回個展開催(以後毎年開催) |
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2007 3月号 |
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ある晩春の晴れた午後。この「私」は、飛騨高山の山中をゆっくりと下山していた。太古の老木がひしめき、日差しが遮られた登山道に、野鳥の声と自身の息遣いだけがく。「私」は苔の上に腰を下ろした。息を整え目をつぶる。突然、野鳥の親子が飛来し、体の周囲にまとわりつくのである。幼鳥は頭上に止まったりもした。「そうか僕は森と同化した何者かだ」。この時、初めて前方の巨大な老木が「生」という「形」をしていることに気付いた。素手で空間に「生」という書体を描く。「これがこの老木の書の形だ」と悟った。
書家の若山象風氏は、この体験以来、自身の作品展や飲食店、イベント会場などで、客の注文に応じ、色紙や衣類に筆字を描く「書のライブ」を展開している。プロの書家が気軽に、しかも奇抜に作品をしたためてくれるとあり、若者をはじめ、さまざまな年齢層の関心を集めている。
会場では、若者のTシャツに毛筆でスルスルと「愛」という作品を描いた。また別の初老の女性の色紙には「生きる」という作品をしたためた。字体や書の風格は千差万別。お客から受けたインスピレーション「その人の書の形」をそのまま無心で描く。引っ込み思案で今にも泣き出しそうな女児のTシャツに「風」という作品を描いた。そして、書にかぶせてブルーのラインをスッと引く。「あっ、風だ」。女児の顔に何かから開放されたような笑顔が広がった。世界で一つの作品に、だれもが顔をほころばせる。なにかしらの啓示を受けて涙を浮かべる人すらいる。
後志管内神恵内村出身の49歳。寺の住職だった父を9歳の時に亡くした。小学5年時に学校の通信教育で書道と出会った。以来、師を仰がず自らの「書」を追求した。我流。書道団体には属さい。賞や格式とは無縁だ。だから、「書道家」から「道」を外して「書家」を自称する。「道は自分で
極め、決めていくもの」という信念からだ。
プロになって21年。自由、かつ闊達な書風で異彩を放つ。これまで、結婚式の案内や式次第など、食べるためになんでもこなした。現在、国内の日本酒などさまざまな商品のラベル作品を手掛ける。道内外の有名飲食店の看板や暖簾に若山氏の作品を見掛けるようになった。飲食店内に飾る作品として、さらには洋室のインテリアとして女性たちの人気は高い。
もっと身近な書を
4年前から始めた「書のライブ」が新たな書の在り方に一石を投じている。若山氏は閉鎖的な従来の書道の世界の在り方に懐疑的だ。有名な書道家に作品を依頼すると50万円は下らない。「書は高価というイメージが先行し、また、従来の書道界の格式も人を遠ざ
けさせる雰囲気がある。もっと多くの人々に身近に感じてもらう筆字があっても |
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いい」と言い切る。だから、人の輪に積極的に加わって、作品を創作する手法をとった。出張料2〜3万円で、書一人当たり3000円〜。通常では考えられない低料金を設定している。「書をもっと身近に感じてもらいたい」からだ。
ただ、これらは本音ではないだろう。若山氏の作品には、人の心を解き放つ魔法があると多くの来場者は感じているはずだ。「自分自身の中に隠された『書の形』が表現され、素直に感動を覚える」。だから、書の形はお客の側にあり、若山氏はそれを表現し、開放するだけ。自分の形を追求する他の書道家とは趣を異にする。「それでみんなが幸せになれたらさらにいい」というのが本根だろう。老木の書の形『生』を見事に読み取った若山氏は「実は自らもその時に開放された」と打ち明ける。閉塞気味なストレス社会の中で「書のライブ」の関心があつまる秘密は、実は人々の心を解き放つ不思議な創作作用にあるといったら言い過ぎか。
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